【人体実験】ネコアレルギーの人間が猫の島にいってみた 3
笠岡~多度津船の旅。今回で最終回です。
第一回
第二回
15:25 佐柳島長崎港
本浦から歩くこと数十分。佐柳島長崎港に到着しました。もう長崎港発のフェリーは最終便が出てしまっているので周辺は閑散としています。
せっかくなので近くにある階段を登ってみます。真鍋島と比べると結構立派な階段が島内の所々に。
階段沿いには農産物を運ぶためのモノレールが設置されています。これも広義鉄道。道路と交差する場所のレールは取り外し式なのが面白いですね。
再び下に戻るとなまら猫がいる。真鍋島もそうでしたが、佐柳島の猫もかなり人馴れしています。観光客から餌でも貰っているんでしょうな。
自分も何かあげたいと思いましたがそもそも自分が食べるものも持っていないのでただ眺めるだけに。観光客がみんな餌をくれるとは思うなよ(?)
15:45 埋め墓
長崎地区には埋め墓というもの存在します。
他人様のお墓の写真を上げるのは多少抵抗がありますが、島の見どころの一つとされていますのでご紹介。
火葬が一般化する前、日本の一部地域では埋葬(土葬)用と墓参り用でお墓が分かれている両墓制という風習があったそうです。現在でも佐柳島以外に埼玉県や長野県などに残っているところがあるそうですが、衛生面や景観面から風前の灯火だそう。
佐柳島のものも、現在は土葬ではなく火葬した遺骨を埋めているとのことです。
自分はこういった風俗・風習にそこまで造詣が深い訳ではないので、この程度の説明しかできないです…すみません。
興味のある方は↓をどうぞ。
長崎地区は西側が海岸に面しており、西日が暖かい。本浦には観光カップル客 がいましたがこちらの方までは歩いてこないのか閑散としていました。
日本の地中海*1と言われる青い海を独りで独占できました。
四国行きのフェリーに乗るために本浦港に戻ります。島を一周できれば楽しいのですが、残念ながらそんな道はなく来た道を引き返します。干潮時であれば砂浜を辿っていけるらしいですが今が干潮かもよく分からないし砂浜を歩くには足もボロボロですし潔く諦めます。
少し高いところに行けそうな道があったので歩いてみます。道の先に見える瀬戸内海が素敵。
道は行き止まりで砂防ダムがありました。小さな島でも治水は大事。佐柳島も大雨などで土砂崩れが発生することがあるそう。
島には食料品や日用品を購入できるお店は無いのですが、張り紙によると2週間に一回程度三豊市に本社を置くスーパーイマガワの移動販売車が来るらしい。そんな風景見てみたいなあ。
歩いていると家の門の上にいた猫氏がわざわざ降りてついてくる。足を速めるとさらに追っかけてくる。試しに止まってみたときの様子が上の写真。ミャーミャー言いながらめっちゃスリスリしてくる。なんやこれ。なまらかわいい。
猫アレルギーなんで撫でることもできずひたすら猫氏と追っかけっこする始末。もう少し危機感を持ちなさい。
こいつフェリーの中までついてくるんじゃないかと不安に思い始めたころまたまた猫の集団が。すると猫氏は俺に目もくれずその中に入っていく。良かった。でもなんか寂しい。
猫軍団に猫氏を託し来た道を戻ります。日の当たらない側なので結構寒い…
お!簡易郵便局あるぞ!と思ったらなんか草押し茂っているしタイルが剥がれている。
調べてみると2008年から一時閉鎖になっている模様。2000年に佐柳郵便局が閉鎖され代わりにこの簡易郵便局が設置されたらしく、建物もその時に建てられたものだとか。もったいねえ…
閉鎖から既に10年以上が経過しているのですがこの先どうなるんでしょ…
本浦港の近くに崩れかけた建物があったので近づくと「きっぷうりば」の文字が。昔はここで船の切符でも売ってたんでしょうかね。
このほかにも佐柳島には廃墟・廃屋がそれなりにありました。ちょっと悲しい。
17:10 佐柳本浦港
いよいよ佐柳島からお別れの時間がやって来ました。本浦から乗るのはカーフェリー新なぎさ2。カーフェリーなのでそれなりの大きさがあります。(とはいえ北海道航路と比べればかなり小さいですが)
またこの島に来ることはあるのかな…将来近くに住まない限りは厳しいだろうなあ…などと考えながら離れていく佐柳島を眺めます。鉄道が無いと中々来れないしね。
新なぎさ2は佐柳島発の最終便で途中高見島に寄りながら四国本島多度津を目指します。ちょうど夕暮れということもありオレンジに染まる瀬戸内海を見ることができました(ただし寒い)
18:00 多度津港
笠岡を出て約7時間。ようやく?四国に上陸しました。いやー楽しかったです。
このあとは20分かけて徒歩で多度津駅に向かい高松の快〇CULBで一泊したのでした。
以下その様子
コロナ禍でどこにも行けない日々が続いています。またこのころのように普通に旅行に行ける日が早く戻ってきて欲しいものです。
以上拙い文章でしたが笠岡→多度津 船の旅の記録を終わります。1年以上前のことですが意外と覚えているもんだなあ。
*1:香川出身の同期曰く自虐